榛名無名雑感
スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
第103号 五木寛之のことば
第103号 五木寛之のことば

私は最近、五木のエッセイなどをよく読んでいます。好きな作家の一人です。
わたしの様な者が五木論を展開しようというわけではありません。 私の心に残った五木のことばを抜粋するにとどめます。

・  今大切なのは「励まし」ではなく、「慰め」である。
  老いを否定できるでしょうか。 死を否定できるでしょうか。とことん打ちひしがれた人々を救うのは、「励まし」ではなく、「慰め」   なのだと、強く感じるのです。

・ 日1回喜ぼうと考えたこともありました。
    1日1回他者を喜ばせようとも考えたこともありました

    あまり大きなことを考えると、手帳に書き出せません。ささいなことを発見することにしました。

・   深く絶望する人間にしか強い希望はつかめません。強く悩み、強く迷う人間にしか本当のプラス思考は得られない のです。 情の自由な振幅こそが大切なのです。strong>


・  悲しみの容量と要望の容量は同じ。


・  私自身は、死を淡々と迎えられないまでも、散々な目にあって生きてきたのだから、「疲れたけれど、これで休めるか」というようなほっとした気持ちで死に臨めればいいな、と考えています。 そして次に何が目の前に開けてくるのだろうかという期待や、明るいわくわくするような気持ちで、死が迎えられるようでありたいと思います。・・・


  五木の言葉は理想的な思考かもしれません。でも癒される部分が潜んでいる気もします。

                                  
  深く深く言葉を使う五木に、心を寄せて、幾度も幾度も繰り返して読んでいます。




スポンサーサイト
第102号  ツバメの祝福
約半年にわたるマリヤ1号館の改修工事が終わり、工事関係者、入居者ともに、工事から解放された安ど感、喜びにあふれています。
その日、驚いたことに、建物の周囲の足場が外された時、新装なった1号館を祝福するかのように、たくさんのツバメが一斉に1号館の周りを飛び回りました。
ツバメ達にとっては、今年は1号館が巣作りに使えないので、どこかに巣を作り、もう雛もかえったようでした。来年は巣をどこに作ろうかと、自分たちの巣作りの場を競うように探し求めていたところに、思いがけずに、新しいきれいな建物が出現したので大喜びだったのでしょう。

例年1号館の入り口の看板頭上に巣が作られていましたが、今年は2号館の玄関の頭上にある看板の上に、遅ればせながら、あっという間に巣が作られ、また数日後には雛がかえりました。

 
数日後、キッチンで妻が「あれ!」という大きな声をあげました。 行ってみると、キッチンの窓の外枠にきちんと並んだ雛鳥が4羽、窓の外からこちらをのぞいているではありませんか。なんの警戒心もなく、私や妻がどんなに大きな声で話していても、逃げようとしません。 きっと小さな雛鳥たちは、初飛行であったと思われました。私達のキッチンの窓辺で一休みだったのでしょう。 やがて大空に一斉に飛んでいきました。  雛鳥たちの自立です。

 
マリヤ1号館は大きな活力に包まれ、新しい生活が始まりました。




第101号 老人の幸せはどこにあるのだろうか

ある小冊子で「老人の幸せの三大要素」 という文章を読みました。
それによると、老人の幸せは、 「お金があること」 「生きがいがあること」  「健康であること」だそうです。

私は、この文章を読んで、思わず 「当たり前のことではないか」 と苦笑してしまいました。
老人に 「お金があり」 「生きがいを持てる趣味などがあり」 「健康」であれば、幸せに決まっています。これらが備わっていてまだ幸せでないと、愚痴が出るのでしょうか。


多くの老人は、「お金が不十分である」かもしれません。 「生きがいを見つけるのに苦労している人」 はたくさんいます。 「健康」にいたっては、 「病 」を持っている人が大部分です。 「病」を持っていても、幸せだと言えるかどうかです。 「病」と付き合っていくのが老人の特色とも言えるでしょう。 これといって 「生きがい」 を持っていなくても、小さな日課を積み重ねて、「生きがい」にしている人も、立派な 「幸せ老人」でしょう。

お金に心配しながら、 持病や 突然に襲ってくる重い病気 と付き合いながら、寝たきりになってもなおかつ、出来る範囲で、ささやかなことを生きがいにできるならば、なんと素晴らしい「老人の幸せ」といえるでしょう。


死を 背後に背負いながらも、 老人の「幸せ」はあるものと信じたいのです。



第100号  苦しいか? 修造! 笑え!
   
  テニスプレイヤーの松岡修造の言葉です。
  スポーツに限らず、人間には苦しい時があります。 苦しいだけでなく、病気の時も、特に「痛み」に対しては日常生活の中で人間は弱いのです。
  痛みが体のどこかにある時は、気もそぞろで、まともに他人の話を聞けません。

   私は足が痛いのですが、家内は「痛い時、病気の話をするときに、眉間にしわを寄せないで! 笑って! 」 と絶えず忠告してくれます。

   薬に依存しても、痛みは取れないものです。  「笑う」心境までにはなかなかいかないのです。

   でも、多くの苦しんでいるみなさん!   「苦しいか? 痛いか? そういうときこそ笑え!」 と、
 松岡修造の言葉のように、自分自身をはげましていこうではありませんか!



第99号 あなたの輝きを願っている人がいる


>「あなたの輝きを願っている人のことを忘れるんじゃない」(マルチョン名言集より)

どんなに年をとっても、人は輝きを期待されているものかもしれません。
 あなたが輝けば、あなたの孫もうれしくて輝いてくる。 妻も、夫も、お互いにそうでしょう。

新生会の入居者のご老人一人一人は、自分の老いと戦いながら、堂々とした老年を過ごそうとされているのです。

自分が、輝やき、充実しておれば、妻も輝いてくる。  よくわかっていることなのですが、・・・。

さあ、みなさん、気を取り直しつつですが、元気にやりましょう! 



Copyright © 2017 榛名無名雑感. all rights reserved.

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。