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榛名無名雑感
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第46号  忘年会にて   (2013年、今年最後のブログとします)
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12月14日(土)、マリヤ館、バルナバ館合同の忘年会がウエルカセンター食堂で行われました。 短い時間でしたが、心にしみる催しでした。

 特に、私は、八木館長の閉会のご挨拶が心に留まりました。

 「入居者お一人、お一人の人生があり、ここに同じ生活をするようになりました。 共に尊重しあいながら生きてまいりましょう。 人生は今日一日が、また、一刻一刻が大切です。 みんなで一刻一刻を、今日一日を、そして明日を、大切にして生きてゆきましょう。
私も後期高齢者になりました。 みなさんとご一緒に生きてまいります。 職員も皆様と心触れ合いながら、仕事ができることが幸せです・・・。
今年一年を感謝して、この会を閉じましょう・・・」というような内容でした。

 館長は飾らない言葉で、心からの言葉を用いて話されました。 幸せな共同体だなと感じ入りました。


 締めくくりは、私がフアンである吉田みなちゃんの「夫婦坂」の熱唱でした。きれいな歌声、歌の言葉に、涙ぐんでいる多くの方もおられました。
私は歌の合間に、恥ずかしながら、「みなちゃん!!」と、思わず叫んでいました。


皆、自分の人生を思い起こした忘年会だったのだと、思います。

新生会の底力を感じました。


2013年12月14日

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第45号  人をあざ笑う側に立っていないか
冬を待つ自然
  冬を待つ自然

  私達人間は、人にからかわれたり、あざ笑われたり、侮辱を受けたりすることに、非常に敏感な生きもののようです。まして、濡れ衣を着せられたような時は、人間はすごい剣幕になるのではないかと思うのです。

  そのように、人間は人からあざ笑われたりすることはとても嫌で、敏感なのですが、逆に、私達は、人をあざ笑らったりすることには、案外ぞっとするほど平気なのではないかと思います。

  
  何年か前、私は同僚のチャプレンと一緒にイスラエルを旅したことがありました。イエスが生活し、歩かれた道を辿っての旅でした。

  イエスが十字架を担いでグルゴダの丘まで登って行かれた道を、私達も歩いて登りました。
  曲がりくねった細い石畳の道でした。 周囲にはイエスが鞭打たれた場所や、十字架の重さに耐えかねて倒れた場所などがありました。 私は、この聖書のクライマックスともいえる道を登りながら、十字架にかかかるためによろけながらこの道を登っていったイエスは、どのような気持ちだったのかと思いました。

  この道の状況は、一言でいえば「イエスは多くの群衆からあざわれながら登って行った」ということです。 その惨めで格好の悪い姿に追い打ちをかけるように人々がののしり、イエスを笑い者にしたのです。議員たちが嘲笑し、兵士たちが憎々しげに叫びました。 ほとんどの民衆がそれに同調しました。 私はチャプレンと歩きながら、そのような状況を思い浮かべていました。

  イエスは決して憤りませんでした。イエスは人間の罵りやあざ笑いを一身にその身に受け、そのまま人間の罪をわが身と一緒に十字架にかけてしまわれたのが、聖書のメッセージです。


  私達は、人をあざ笑う側に立っていないでしょうか


  まもなく、クリスマスがやってきます


(拙著『ミッションに立つ学校から』より抜粋)


2013年12月5日

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