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榛名無名雑感
第54号  はく息は、恵みの呼吸
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アネモネとアンダーソニア


 「新生会の高齢者住宅に入って、何をなさっているのですか」と、ある友人から聞かれました。 私は、「今をいかに生きるか」を研究しています、と答えました。

  しかし、未熟者の私に「いかに生きるか」の「答え」はまだありません。 

  最近、心に残る三つの詩に出会いました。胸にギュッときました。 引用して、「いかに生きるか(いかに死を迎えるか)」に直面している人にメッセージとし、思いを共にしたいと思います。

 
             はなしょうぶ
   
          黒い土に根を張り
          どぶ水を吸って
          なぜ、きれいに咲けるのだろう
          私は
          大ぜいの人の愛の中にいて
          なぜ、みにくいことばかり
          考えるのだろう

                 (星野冨弘)


          いのちが 一番大切だと
          思っていたころ
          生きるのが 苦しかった

          いのちより 大切なものが
          あると知った日
          生きているのが
          嬉しかった
                
 (星野冨弘)

  
      
       もう一首、カトリックの方の祈りの詩。
       
           天のお父様
           どんな不幸を吸っても
          はく息は感謝でありますように
          すべては 恵みの呼吸ですから

                   (河野 進)


2014・3・21  
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第53号  私達のふるさと再生ビジョンを
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  満月は美しく…


  高崎郊外の山麓に立つわがマンションの窓には、冬は、冷たい強風が、1日中、1晩中、体当たりで、吹きすさんできます。 群馬の冬は、カラツ風。 窓は1日中、ピユーピューと笛を吹いています。


  日本のどの地方にも過疎の集落があります。 高崎市の一番奥の町「倉渕」という町も、立派な家が立ち並んでいますが、1家に1~3人のお年寄りが住む家がほとんだということです。 この倉渕は、現文部科学大臣の出身の地だそうです。 現在は典型的な少子高齢化の地域です。 いったん都会の大学に進学した子供は戻ってこないという嘆きを聞きます。 雇用がないからです。 年寄りだけが残っていく現象があり、やがて人が少なくなっていきます。
  
  地方は、なんとかならないのでしょうか。 荒れた田畑が残り、イノシシや熊が土を荒らします。 思い切った農業対策、会社経営方式の農林業など、知恵と実践が急がれています。

  人口減少、高齢化、交通の不便は、「医療」も遠ざけます。「理念」や、「思想」さえも挫折させます。 新生会が地理的に過疎を食い止めている限界地域です。  
  

  私は、新生会の傍らに立っている「鶴亀庵」という倉渕出身のそば屋の主人と、毎夜、温泉につかりながら、どうしたら、地方を盛り返すことができるのかと、語りあっているのです。

  この強いカラツ風を電気に変えられないか。夏の猛暑を電気に変えられないか。逆転必勝の地方隆盛を、湯につかりながら、二人で夢見ているのです

  新生会の入居者も、80歳であろうが、90歳であろうが、日本の行く末を、また、私たちの最後のふるさとを、消滅の地にしてはならないと多くの人が考えているのです。

  地方をなんとかしたい。地方再生の夢を語っているのが高齢者だけであってはならないと強く思います。

 
  大思想家、大為政者は、こういう危機の風土から出ると、私は、信じていますし、私も、地方再生の夢に燃えてみたいのです。


2014・3・13
第52号  気持ちよく退職できました
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     天使


  私達にとって、もっとも困難な問題の一つは、人間関係でしょう。生きている限り、一緒に生きている者たちとの関係が、いつでも問題になります。

  子供にとっては、いつも、いじめられないかとびくつきながら学校生活を送っている者は少なくありません。 子供だけではなく、会社や、大人の職場においても、「いじめ」は珍しくないことでしょう。

  子供も大人も、私の居る高齢者ホームの中にも、ため息ばかりしている人がいることでしょう。 どうしたら「ため息」から脱することができるのでしょうか。… 簡単に答えは見つかりません。


  ある学校で、教師間のトラブルで苦しんでいる、定年間近の先生がいました。 私はその先生の知人として、その先生に「定年までの数年、どんなにいやがらせを受けても、相手を憎んだりせずに、定年を迎えてくださいね。大切な40年にもわたるご自身の教師生活の最終章。人を憎んで終わるのは、もったいないことですから」と、慰めのつもりもあって、申し上げたことがありました。

  その先生から年賀状が来ました。「わりと心豊かに、定年を迎えられました」と書かれていました。
 

  人生も同じだろうと思います。90歳になろうとする尊敬する私の先達も、「新生の園での生活。こんな安心で、心豊かな日々を送れて、ありがたいことはない。人生の最終章。感謝です。」と、「ありがたい」という言葉に満たされ、小さな病につきあいながらも、ご夫婦で、ますます元気に暮らしておられます。

  人は不平不満で、人生を送り、人生を終わるのでしょうか。何事も感謝にかえて生きるのでしょうか神様の目から見れば、大きな祝福の差があるように思います。
  私たち夫婦も先達のようにありなんと念じつつ、心の生活を整えていこうと思っています。

2014・3・4
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