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榛名無名雑感
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第57号  心の中に聖所を持ちたい
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 遠くには浅間山も


  渡辺和子氏の1文章に心が留まりました。


    …人は、人には知られない悲しみや、苦しみを、聖所に秘める。
     誰でも、人に言えない悲しみや苦しみがある。
     それを納める聖所があれば、平常心を保って生きていける。…

  

  人を憎む心、悲しみ、恨み言、言い訳、などを、口に出さずに、心の中にある聖所に納めることができたなら、どんなにか安らぎを得ることができることでしょう。

  
  この言葉に出会って、「聖所」を、人間は皆心の中に与えられているような気がしたのです。

   
  聖所に納めて生きて行く!


2014・4・21
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第56号  少し困難な道を
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    榛名の桜

 
  高校生になると、大学の宣伝パンフレットが生徒に配られます。各学部の先生方が、研究の楽しみなどを書いておられます。

  ある時、ふと私だけが気に留めたのかもしれませんが、そのパンフレットの中で、ある教授が、高校生にこういう言葉を投げかけておられました。

  …「自分の可能性を拓くために、少し困難な道を選択してください」…

  
  少し苦しめの道でないと、とくに若者とっては達成感がないのではないかと、問いかけておられたのです。

  

  何事をなすにも試練はあります。 イエスも、救い主としての活動を始まる前に、広大な荒れ野で四十日間厳しい試練を受けられました。
  このイエスの試練をもとに、ヤコブは「試練を耐え忍ぶ人は幸いです」という、重い言葉を聖書に記しています


  私も老年と言われる年になりました。しかし、かつて高校生に投げかけられた「少し困難な道を選択してください」という言葉を今思い起こしています。
  
年老いてもなお、この言葉を肝に銘じて、命の道を歩みたいと思うのです。
  


2014・4・21


第55号  向き合う
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   榛名の春


  私の教師時代、毎年、多くの学校行事がありました。 中でも中学3年生のコース別の「校外学習」には何度も引率していき、生きた生徒の姿に触れた思い出があります。 この「校外学習」では、全国各地での「説明・発表」に力を入れてきました。

  あるお寺の前で模造紙を広げながら、お寺の構造や五重の塔の意味について説明してくれた生徒。 鍾乳洞の水の透明度について皆に講義をしてくれた生徒。 コースの全ガイドを、バスのガイドさんに代わって班員が分担して説明しながら、旅をしたこともありました。 説明にあたっては必ず模造紙一枚以上を使用することがルールでした。

  奈良の明日香の田んぼ道を皆で古代人の気分で歩いていた時など、突然ある生徒が全員を止めて、ここで少しの時間だけ話をさせてくださいと申し出たことがありました。「こんなところで何をやるんだ?」と訊くと、「道」について話をしたいというのです。わずか二メートル幅もない田んぼの中の道を踏みながら、この道は日本最古の道で、朝鮮半島から日本海を経て真っすぐ大和の国に通じていた「大和路」と言われるのだと、熱のこもった説明を受けた時は、一同感動したものでした。

  また、東北の十和田湖を見下ろす発荷峠で、火山の火口に水のたまった十和田湖について説明をした生徒は、今、あるデパートの部長で活躍しています。彼いわく、「あの一枚の模造紙での説明が、僕にものを見る目を教えてくれた」と今でも言っています。

  皆、旅をしながら、何かに「向き合った」少年でした。 


  歳を重ね、私も初老になりました。 年老いた方々も、起きるべきして起きる病に向き合っているだけでなく、積極的にライフワークに向き合っておられます。

  やがて人間全員が向き合わなければならない最期の時に負けないために、何事にも目をそむけず向き合っていきたいと、願いながら。
 

2014・4・21

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