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榛名無名雑感
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第69号  抜け出せた?
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 小さな花で充分

  新生会の高齢者住宅に入居して、どれだけ多くの人から、「早すぎたのではないか」と言われたことでしょう。 家内もそう言うことがあり、自分でもそう思うことがあります。

  しかし、これも、神様が与えてくださった私たち夫婦の人生のシナリオだと信じています。

 
  さて、退職して、老後を、どこでどう生きるかが、最近少しずつ分かってきたように思います。 なかなか仕事をしていた頃の自分から抜け出せなかった。 きっぱりと過去を捨てて生きることもできなかった。 心を充足させるだけの趣味もなかった。 やはり私も、リタイア後の生き方にもだえ苦しんでいたのです。

  最近やっと、自分の充実のためでなく、他者のために日々を奉げることに喜びを感じるようになっている自分に気づきます。 妻のアッシーもします。教会の働きもさせていただいています。学校のお手伝いも、自己実現のためでなく、お役にたつそのことのために与えられています。 感謝なことです。 つまり、 自分の夢や目標を求めるのでなく、まして、お金儲けのためでなく、他者のために生きる人生を送るので充分、と思えてきました。 最近のことです。 やっとなにかから抜け出したように思えています。

  
  新生会に入るのが早すぎたか、遅すぎたかの問題ではありません。  長いと言われるリタイア後の生活を、小さな、生きた聖なる供え物として生きてみることなのだと、思います。一日、一日です。


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第68号  小さな死
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 小さく耐えて咲く花


  私は最近、ある作家の言葉に、深く心打たれました。
  例えば、こういう言葉です。


・・・日々の繰り返しを、繰り返しとは考えずに、毎日を 「仕始め」 として新鮮な気持ちで行い、もしかすると、これが最後になるかもしれないと、心して、 丁寧に行うのです

・・・人はいつか、皆、死にます。 公演を行うときなど、リハーサルをしておくと、本番であがったり、慌てないで済むように、死そのものを取り乱すことなく迎えるためにも、リハーサルをしておくことは、良いことなのです。  私はこのリハーサルを 「小さな死」 と名付けています


  救急車で運ばれていく方が、けっして珍しくない「命の家」に身を置いている私は、上のような言葉や、言葉そのものを実践している方々に出会うとき、 人生の中で初めて、生きることの真の意味、 真の強さ、 真に祈ることを教えられるような気持ちになるのです。

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