FC2ブログ
榛名無名雑感
スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
第1号 小宮山昭一立教学院前理事長を悼む
私は、昨秋より群馬の榛名新生会に居を移しました。その経緯はのちほどお伝えすることとして、先日、私の校長時代に理事長をされていた小宮山立教学院前理事長が亡くなられました。3月2日に立教学院葬が執り行われ、わたしは、その茶話会で、思い出とともに、お悔やみの言葉を述べさせていただきました。
私の「榛名無名雑感」第1号として、ぜひそのスピーチを掲載したい衝動にかられました。
         ・・・・・・・・・・・・・・・

小宮山前理事長がお亡くなりになってから、数週間の時が過ぎました。
 実に、小宮山前理事長は、心の広い、優しい、大きな方でありました。理事長は、人を愛し、可愛がりながら、そして「人を育てる人」でありました。
 私が立教中学校の教頭をしているころに理事長になられ、私の校長時代を通じて、実に可愛がっていただいたなあと、感無量になります。

思い出は尽きることはありませんが、2~3のことを強く思い起こしております。

もう15年以上前、小宮山前理事長が、理事会の意向をもって、立教中学校の教職員会議に来られたことがありました。中学校をグランド側に移し、同時に、池袋と、新座に中高をつくるという立教の総合発展計画でした。

理事長は一人で教職員会議に臨まれました。
教職員の中には、賛成派もありましたが、多くのものが、この改革に不安を抱いており、案の定、理事長に改革の不安や、疑念を、次から次に投げかけたのです。理事長は一つ一つ揺るぎのない説明で、答えられました。
ある教師が、中学が高校を作って、応募者が減り先細りしたらと思うと不安になるというような発言をした時、小宮山理事長は、はじめて声を荒げてこういわれました。「そんなことはありません。立教中学校は、立教の中でもっとも歴史の古い学校です。その学校の教員がそんな弱腰でいてもらっては困る。」と。
・・・強く私たちを励まし、理事会が一体となって教職員と共にあることを、説かれたのです。

 会が終わり、理事長が、退席なさる時、驚くべきことが起きました。・・・教職員の賛成者も反対者も全員が一斉に席を立ち全員の拍手で、理事長をお送りしたのです。
 わたしは、そのとき、司会をしていたのですが、理事長の人物の大きさを、全教職員が感じ取ったことに、思わず、一人で涙したのでした。

 あくる日、私は、理事長室に呼び出されました。理事長は「みんなが拍手をしてくれた。うれしかった」と、私ごときものに礼を述べてくださったのです。
その時から、立教学院の小学校から、大学まで一体となった大改革が始まりました。

「人の心をつかむ」、器量の大きなお方でした。

もう一つ、小宮山前理事長のお人柄を伺わせることがあります。立教の改革を進めながら、実は、多くの方が、その間に亡くなりました。一つ一つの葬儀に私も一緒に参列することが多かったのですが、参列しながら、私は驚くのです。小宮山理事長は、いつも葬儀の最中に、嗚咽して泣かれるのです。改革の同志を失った悲しみか、故人を思っての悲しみか、・・・小宮山前理事長は「泣く人」でもありました。

また、理事長在任中、何度も、任期が来るたびに、「もう理事長を辞めさせてくれ」というのが、口癖でした。そのたびに、私たちは、総長も一体となって引き止めさせていただきました。

ご家庭ご家族の方には本当に申し訳のないことでした。
小宮山前理事長は、奥様をはじめご家族を心から愛する「家族愛の人」であったことを、私たちは、もっと知るべきだった思います。

今は、小宮山理事長は、天にあって、立教のこと、ご家族のこと、そして、私たち一人ひとりのことを祈り、見守ってくださっている「見守りの人」であらることを、私は本気で、信じています。

感謝をもって追悼の言葉といたします。   2013・3・2
スポンサーサイト

コメント

 管理者にだけ表示を許可する

トラックバック
トラックバック URL
Copyright © 2018 榛名無名雑感. all rights reserved.

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。