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榛名無名雑感
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第6号 息子よ、人生は舗装された道だけではない

自室のベランダに
 咲いた花

私は、停年まで数年を残して、退職した者です。

 一九九五年度から、私は教頭を四年、校長を九年、その任に当たらせていただきました。折からの「立教の改革」時期を、学院の一員として働かせていただきました。きつい仕事でしたが、やりがいのある、楽しい生活でした。
新校舎の建設、池袋中高校の創設と続き、歴史の転換期に、教頭・校長の任に当たることができたことは、身に余る光栄でした。

 さて、校長も三期目に入った年の夏、私は八月に、持病の不整脈(心房細動)を治療するために、除細動手術という電気ショックを胸に受けました。全身麻酔をして二00Vの電流を胸に流すものです。

もう七月の最初から、この心房細動の発作は胸に起こっていました。夏休みになってから手術を受けようと、胸の鼓動がでたらめに打つまま、我慢しながら、学校の仕事を続けていたのです。

実は九年前にもこの除細動手術を受け、術後、普通の生活を続けていました。今回も同じように十分間ほどの手術を無事に終わり、九月から元気に学校に出ることができるものと、思っていたのです。

 しかし、今回はまるで異なりました。退院してみると、外は猛暑で、二00Vのダメージを受けた体は、あまりの暑さに耐えられませんでした。食事を見ただけで、心房細動が再発しそうになるのです。「胸の鼓動がでたらめになりそうだ!」・・・その恐怖に、食事を受け付けなくなりました。

家内は私に少しでも食事を口に入れさせようとして、介護にとても苦労しました。出口の見えない日々でした。体重は一気に十キロ近く減っていきました。

年齢的にも九年前とは違い、初めて「加齢」という言葉を実感しました。「以前とは違う!」・・・カーテンを締め切り、外の暑さを避け、ごろごろと七転八倒しながら、八月九月を過ごしたのです。病は気から、と思いつつ、体力任せに回復していた今までとは違う、「還暦」の体力の無さを認識させられたのでした。

病気をして一年近く、休職して家で静養していなさいと医者に命じられ、家にいました。 心臓の脈がでたらめになる不整脈の再発を恐れながら、「静養」していたのですが、何もしないのでは、かえって「静養」になりません。ただ一つ、私にできるのは、「歩く」ことでした。 歩くといっても最初は五分ぐらい、次の日は十分ぐらいの散歩程度の「ミニ・ウオーキング」がやっとでした。左胸をかばいながらの不自然さで、ほとんど毎日、短い距離でもよいので、「歩く」ことをしていました。

 歩いている途中で、脈が突然飛び、「いつになったら心臓に自信を持って生活できるのか!」と、悲しくなってしまう時も、多々ありました。社会生活への自信が出てきません。今でも左胸に不快感があり、不整脈の自覚症状への怯えが消えません。怯えると余計に病気はくっついてくるもののようです。ですから、開き直って行動する!つまり「歩く」ことが私の未来へ続く道と信じて、1日に何回も分けて、歩いていました。歩くことだけが、仕事でした。

 その歩いた歩数を、私は、毎日ノートに記録しておいたのですが、ある日、家内が、私の歩いた歩数を合計し、距離に換算してくれました。 前年の十月から五ヶ月間で、約五00キロ、塵も積もれば山となる、「京都まで行ったのと同じだよ!」と、辛かった日々を思い起こしつつ、二人で、「歩くことしかなかった日々」を感謝したのでした。

 〈息子よ、人生は舗装された道だけではない〉・・・この言葉は、かつてトヨタ自動車が、四輪駆動車「トヨタランドクルーザー」の新聞広告に、掲載したコピーだそうです。読売新聞の「編集手帳」で取り上げられているのを読みました。

 これは、単なる車の広告の言葉ですが、味わいのある言葉だと思いました。・・・たしかに、人生は舗装された道だけではない。舗装されていない悪路も走れる四輪駆動車のような力が、必要であるに違いありません。
 私は、立教池袋という学校は、四輪駆動ならず、全員駆動で、どんな困難な道でも、逞しく走り続けていく・・・そういう学校であることを、確信しているのです。

 二00九年三月、私は、感謝を持って、日本一の学校を退職いたしました。

そして、そのころから、新生会を拠点にした人生を、考え始めたのでした。

    2013年3月29日
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